アイガーは晴れていた

1,8月22日(木曜)8時30分アイガーに向けて出発

フローリアンが朝8時半に愛車のBMWで宿に迎えに来た。天候は曇りで,雨は降っていない。行く先はマッターホルンの登山基地のチェルマットではなく,アイガーを擁するグリンデルワルトだ。マッターホルンが雪で閉ざされ,急遽アイガーに変更したのだ。

しばらく進むと懐かしいインターラーケンの景色が広がってきた。遠くにはアイガーが一瞬見えた。

11時30分ごろグリンデルワルド駅の一つ手前のグリンデルワルドグルンド駅に着いた。ここで車を止め,翌日アイガーに持って行く荷物を選り分け作業をする。

フローリアンから「今日は2時間の行程にすぎない,今日の分はいらない。持参した食料の半分はおいてゆくように」といわれた。でも,ガイド組合の案内文は「2時間半」,日本の旅行会社の案内文では「3時間」歩くとなっている。その行程を2時間で歩くつもりだろうか?

携帯の充電用コードは持参荷物からはずされてしまった(ミッテルレギ小屋には充電スペースがあった)。湿布は,”Food?” と聞かれたが,「これは絶対必要」と強引に持参した。

 

2,アイスメーア駅へ

12時過ぎのクライネシャイデック行きの電車にのるために,切符を買う。「切符を買うのに時間がかかる」と聞いていたが,ここは混んでいない。グリンデルワルド駅ではなく,ひとつ手前のグリンデルワルドグルンドの駅だったからであろうか。

クライネシャイデックで乗り換えて,ユングフラウヨッホ行きの電車にの

る。ヨッホ行きの電車は,座れないほど混んではなかった。

窓からファルボーデン湖が見えた。以前にも来たことがあるのが,ここからのアイガーの北壁は素晴らしかった。

1時半頃にアイスメーア(Eissmer 3159m)の駅に着いた。

暗いトンネルを抜け,広いテラスのようになっていて窓から外が見えた。

外には白い雪が広がりその向こうに山も見える。

そこでハーネスをつけ,トンネルを抜け,雪の上に出た。氷と岩が迫っておりクレパスがぱっくり口を開けている。フローリアンは「クランポンをつけるように」と指示をした。

しかし,傾いた氷はつるつる滑り,足を乗せてクランポンをつけようとするがうまく行かない。「どんな場面でも,きちんとクランポンが素早く装着できるかかどうかが重要なんだ」とベテランのクライマーから怒られたことを改めて思い出した。

 

3ミッテルレギ小屋へ

急な雪塊を斜めにトラバースしつつ下り,雪の上におりた。

この時の服装は下は登山用のタイツとパンツ,上はウールのシャツとピンクの温かいジャケットといういで立ちであった。

ところが,直射日光がまともにあたり,とにかくあつい。

おおきな黒い岩がせまり,クランポンを外し,暑さに参って上着を脱いだ。フローリアンは,その様子を見て「上着はどんな時でも調整するように,暑いときは,脱ぐように」と言った。

まもなくして,もう一組登ってきた。フローリアンのあとを追って岩に登ろうとするが,足を引掛けたり,手で掴む窪みもない。悪戦苦闘していたら,フローリアンが引っ張ってくれたので,それに合わせてよじ登った。

最初のおおきな岩を超えてからは,通常の砂利道や,ザレ場や岩登りが続き,遅れずに快調に歩いた。ここで何組か,追い抜いた。

小屋についたのは3時半,フローリアンの言う通り丁度2時間で歩いたことになる。

小屋から黒いアイガーがそびえているのが見える。すり鉢を逆さまにしたように左右対称できれいだ。先は尖っている。中年の日本人の女性がこの様子を写真を撮っていた。そのうち次々と登山者が登ってきた。ミッテルレギ小屋は今年新築されたとのこと。

部屋の中にはいってすぐに食堂がありストーブの火が燃えていた。奥には蚕棚のようなベッドの部屋があった。30人ほどが定員。ベッドに名前が書いた紙がおいてあった。汗をかいたので,手早くシャツ,を着替えたが,何となく寒い。ホッカホカカイロを取り出して,背中に貼った,これはどんなときでも一つは持参すべきだと思った。

ミッテルレギ小屋は3355mの位置にある山小屋。さすがに冷えてくる。

着替えをして,ストーブで汗に濡れたシャツやグローブを乾かした。ところがストーブの火に近づけたところ,あっという間に大きな穴が開いてしまった。お気に入りのシャツだったから残念。気をつけねば。

 

4,ミッテルレギ小屋の夜

午後6時に夕食。食堂に40人ほどが集まった。ミッテルレギ小屋に泊まれたゲストだけでなく旧館に泊まったメンバーも集まっていた。

そこで日本から来た3人グループの男性が話しかけてきた。「自分たちはガイドレスなので旧館にしか泊まれなかった」と言っていた。うち一人が「明日はいい天気らしいですね」と声をかけてきた。そのグループは「今まで天気予報に振り回されてきた,あの予報はなんだったのだ」とぼやいていた。私も同様だったからこの気持ちは良くわかる。

夕食はどのメニューもおいしかった。

食事が終わって夜,8時ころ外に出ると赤く染まったアイガーをバックに男性が角笛を吹いていた。北壁は白く雪が輝いている。明日登る予定のミッテルレギ陵にも雪が残っているのが見えた。

ミッテルレギ小屋のトイレは岩から飛び出たところにあり,下をみると怖いが中は広く使いがっては良かった。

食堂の入り口に朝食時間を定めたグループの名称が貼りだされていた。

3組に分かれている

①4時30分②4時50分③5時10分の指定となっていた。

それぞれ13~14人ほどで,私は②の時間指定であった。これは登頂のためのスタート順でもある。

朝食時間の30分後にスタートするのが通常で,フローリアンは「5時20分に出発する」と私に告げた。

4時50分に食事を取るためには4時に起きれば十分だ。それでも睡眠不足になるとまずいので9時前には布団に潜り込んだ。

フローリアンは山小屋につくと,まず周りの状況を探索し1段落すると横になって眠っている。時間があれば少しでも寝ておこうと言うことなのだろう。可能な時に横になって休憩をとって登山に備えると言う対応は参考になった。

 

5.アイガーに向けて出発(8月23日金曜日)

4時に私の携帯の目覚ましが鳴った。それに呼応するように先発グループとおぼしき数人が起き出して身支度をととのえ始めた。

しばらく経ってから私も起きた。今日は上着にゴアテックスのジャケットを着た。

まだ外は暗い。部屋の中も真っ暗だ。持ち物をチェックしているうちに4時50分になり食堂にはいる。

フローリアンはもう朝ご飯を食べていた。ヨーグルトとシリアルを練った食べ物が白いボールに入っていた。でもほとんど空っぽだった。先発グループが食べてしまったのだ。やむなく残っていたパンとコーヒーを流し込んだ。

飲み物には日本から持参したクエン酸飲料をもっていくことにした。

食事後,念のためにトイレに行こうと思った。ところがトイレの外には数人が待っていた。時間もないので諦めて部屋に戻りそのまま支度をした。

もうあまり時間が残されていない。ヘッドランプを装着はできたもののランプがうまくつかない。そのうち5時20分になりフローリアンは小屋の外に出て行った。

慌てて後追って小屋の外に出たところ,外は真っ暗である。右側からフローリアンが「こっちだ」と叫んだ。下はガレ場であり,さすがに真っ暗の中を走るのは怖い。フローリアンが振り返って自分のランプで道を照らしてくれた。

そのうちに後から登山者が迫ってきて後ろのヘッドランプで道が明るく照らされたのでヘッドランプを触らずに走り出した。

しばらく速足で歩き岩の前に止まった。先発グループの3人ほどが待機して順番を待っていた。ここで,もう一度ヘッドランプをチェックし,ザックを直した。フローリアンはシュリングテープでザックの前を止めてくれた。これでザックが動かなくなり,身体にぴったりして,格段に登りやすくなった。

ここから本格的なクライミングが始まる。前のグループはクライミングに慣れていないようでおぼつかない様子でゆっくり登っていく。まもなくしてフローリアンは前のグループとは別の道を通って追い越していった。

何度か,おおきな,岩を登り,はじめてのフィックスロープに出会った。ロープを両手で掴み,駆け上がるとフローリアンは「グッド」と声をかけてくれた。そのうち周りが明るくなってきた 。

私のすぐ後ろで自分の順番を待っているガイドはとても親切で,私がカラビナをはずすのに手間どっていると,はずしてくれた。ちょっとでもスキを見せると強引に割り込んできて先に行こうとするマッターホルンではありえないことだ。

 

6.アイガーの頂上へ

しばらくのぼってゆくと,フローリアンが振り返ってカメラをむけた。

時刻は6時18分,出発から約1時間,周りはかなり明るくなり周囲の山々がが見渡せる。行く手は岩また岩。ただ登る。

6時37分,雲海がオレンジ色にそまり,太陽の光が差し込んできた。

高度の上昇とともに温度はさがり,指がかじかんできた。岩の間に残った雪が,凍っている

岩のでっぱりで平たくなった場所でクランポンをつける。あとから来た日本人の男性が肩で息をしながら,座り込んで,ガイドにクランポンをつけてもらっていた。それを見て,日本山岳会(JAC)のベテランクライマーから「アイゼン(クランポン)もまともに装着できないのか,雪山の尾根でアイゼンが外れたら命にかかわる」と厳しく指導された理由が分かった気がした。

間もなく,両側が切れ落ちた細い岩の上を通って,次の尾根に移らなければならない場所にでた。フローリアンが,「危険だから,座ってゆくように」と指示した。クランポンを装着しているのに滑る。四つん這いになり手でつかもうとしても凍ってうまくつかめない。はるか下まで続く断崖がいやでも目にはいる。思わず振り返ったところ,フローリアンは岩にロープを巻いてちゃんと「ビレイ(確保)」して,こっちをみていた。

7時19分,おそらく最後の長いフィックスロープだ,左手でロープをつかみつつ,雪のあるところをえらんで,のぼる。

8時40分,頂上とおぼしき場所にでた。フローリアンが振り返り握手を交わす。すぐ,むこうの尾根に休めそうなところがあり,そちらにうつった。頂上からは,メンヒの白い頂とバイリスの山々が連なっているのが見えた。しばらく休んでいると,次々と登ってきた,「コングラチュレーション」と握手をもとめられた。

後から登ってきたグループが,「はやい,彼女はどこからきたのか」などとフローリアンに話かけていた。結局,我々が一番早く登頂したということだった。

ここで初めてナッツやチョコレートを頬張った。登山にはナッツ類がかさばらないし,カロリーも高くて,良いのだ。

 

7.アイガーの天候は快晴だった

9時過ぎ,頂上でゆっくり休んでいる登山者を後目に帰途についた。アイガーはもときた道を引き返すのではなく,メンヒの尾根に向けて縦走する。少し下るとまた大きな岩山がそびえ,それを超えてゆかなければならない。だから戻りといえども気は抜けない。

メンヒの尾根を越えると,景色が一転した。青い空に白い山々,なだらかな雪の下り道,ここからは難しいクライミングはもうない。アイガーに登ったことを実感できる最高のポイントであった。

11時半にユングフラウヨッホ駅についた。心配していたアイガーの天候は快晴だった。無事アイガーの登頂に成功してシャモニーに戻った。

 

(関戸京子記)

今年はモンテローザに登りました

今年の夏は8月9日から8月20日までフランスのシャモニーに滞在しました。

前半は天候に恵まれ、翌日から、目が覚めるような、青い空のもと、しろい氷河のなかを歩く事ができました。

後半は天候がくずれ、スイスにユングフラウヨッホ行く予定を変更し、唯一天候が安定していた

モンテローザ頂上イタリア側からモンテローザに登りました。

モンテローザはひたすらに歩き続ける山でした。頂上からの眺めはとても綺麗でした。

ハーグ条約

いよいよハーグ条約の批准にむけて政府も動き出しました。

先日ハーグ条約が施行されたことを前提にした「国際模擬調停」が大阪弁護士会館で開催されました。いまさらながらハーグ条約の問題点を再認識する思いでした。

ハーグ条約は単に管轄地を定めるに過ぎない、子供がもともといた場所で今後の親権や監護のありかたをきめるための手続きにすぎないといわれています。

 しかし、子供を連れ帰れて帰国した母親に対して父親から告訴手続きなどがとられている場合が多く、母親はもとの居住国に簡単に戻ることはできません。そのため子供を一旦もどすことは母親にとって決定的です。

 国内で子供を奪い合うのと次元が異なることを感じました。

離婚が子供との永遠の生き別れにならないためにも今後はもっと条約の内容や、留意すべき事項をひろく知らせる必要があると思いました。

私もまだまだこれから勉強する必要がありそうです。

婚姻費用・養育費・親子関係

 2月から3月にかけて弁護士向けの研修のシーズンとなります。
私も興味のある分野の研修を可能なかぎり受けています。
研修には最新の情報を入手するまたとない機会です。
研修をうけて、これは知っておいたほうがいい、これはおもしろかったと感じられたことを書いてゆきます。

まずきょうは、婚姻費用・養育費・親子関係について。

 別居にいたった夫婦にとって婚姻費用として、相手にいくら請求できるかは大きな関心事です。

最近は「算定表」という便利なツールがありますが、それを機械的に適用すると不公平と思われる事案があります。

それは私学の授業料とか高額な医療費を支払っている場合です。このような場合には、特別に婚姻費用として認められます。

 それでは、別居に際して、一方(多くは妻)が他方の預金通帳などの財産を持ち出した場合に、持ち出した財産を生活費にあてることができることを理由に夫は婚姻費用の支払いを免れることができるのでしょうか?

常識的に考えれば、認めてもよさそうですが、裁判官の答えはノーでした。

「これを認めると夫は婚姻費用の支払いを免れ、その分、分与すべき財産もへり、財産分与の支払いをも免れることになり妥当ではない」

つまり、これを認めると、義務者(夫)は、2重に支払いを免れ、利得するというのが裁判官の考えかたなのです。

多くの弁護士は信じられないような顔をしていました。家事事件はまだまだこれから、判例や先例が積み重ねられる分野です。この結論も事案によっては将来変わるかもしれないと思いました。