1 アイガー登頂の前哨戦はマッターホルンだった
2019年8月23日,妻京子はヨーロッパアルプスの中でもマッターホルン(Matterhorn)と共にあこがれの山の1つのグルンデルバルト(Grindelwald)にあるアイガー(Eiger,3967m)の登頂に運よく成功することができた。
そこで,ここに至るまでの経過を,どのような準備と失敗を重ねつつ,たどり着いたのかを,サポーターである私の立場から御報告したいと思う。
アイガーをめざす前に,京子がチャレンジしてきたのはマッターホルンだった。マッターホルンへのチャレンジの第1回目は,2年前の2017年8月に遡る。マッターホルンは御承知のように,ほとんどが岩の切り立ったところを登り続けることが要求される4478mの険しい山だ。頂上へは3260m付近にあるヘルンリヒュッテからスタートして,ほぼ垂直に崖のような岩を約1200m以上登り続けることが要求される。だから基礎体力のみならず,岩登りの高度な技術が必要となる。
京子は,マッターホルンへの挑戦をするため,シャモニーの登山ガイドのフローリアンにシャモニーの岩場や隣のイタリアのアオスタで岩登りの特訓を受けてからチャレンジした。京子はやせているため,慣れてくると筋骨隆々のクライマーより登るスピードは早いらしい。そのため,フローリアンからは,岩登りに関しては,十分合格点をもらうことができていた。
しかし,2年前のチャレンジでは,マッターホルンの頂上付近に雪が残っており,コンディションはあまり良い状況とは言えなかった。そのうえ,午後から天候が崩れることが予想されたため,4003m付近にあるソルベイ小屋で引き返すこととなってしまった。フローリアンからみて,「天候が崩れる前に急いで登頂して戻ってくるほどの体力は,京子には残っていない」と判断したからだろう。この日に登頂に成功したのは,先頭切って登って行った若い元気のある登山者達だけだったらしい。スイスのアルパインセンターでは,この日のマッターホルンは雪が残っていたため,ガイド登山は中止していたとのこと。そのためこの日チャレンジした登山者は比較的少なく,京子は,「かなり大変だ」と言われていたソルベイ小屋までは行けたので,再度のチャレンジを期して戻ったのだった。
2 マッターホルンの再チャレンジに向けての準備
さて京子は,昨年(2018年)の夏もシャモニーへ行き,山岳組合のガイド・フローリアンにアルプス登山のガイドを依頼していた。当然,京子はマッターホルンへ再チャレンジすると思いきや,今度は,「アイガーにチャレンジしたい」と頼んだのだ。
アイガーは,難易度で言えば,基礎体力はマッターホルンと同程度だけれど,岩登りの技術レベルは,マッターホルンより「もう一段上」と評価されている。それは,マッターホルンと同じような岩場の多い山ではあるが,マッターホルンとは違い,最初に困難な岩場を登るために途中で戻ることが困難となり,あくまで縦走形式の登攀が要求されるためらしい。下山の際も,一度は下った後,隣の4000m級のメンヒの近くまで再度上ってから降りる必要があるため,結構大変のようだ。
ところが京子は前年にマッターホルンへのチャレンジで4003mのソルベイ小屋まで行けたためか,日本で事前に十分なトレーニングをせずシャモニーに向かった。そこで,アイガーの練習用にと,フローリアンが連れて行ってくれた4000m級のカスターと,ブライトホルンのハーフトラバースコースで,共に息切れを起こしてしまった。この時は,明らかに4000mの高度順応不足に加え,基礎体力の補強不足で,アイガー登頂にトライをすることすら許してもらえず,日本に戻ってくることになってしまった。
そのため,今年は昨年の反省で,まず日本でもできる限りの準備を重ねることとした。今年の4月には槍ヶ岳,5月には剣岳へと登り,そして高度順応のために,富士登山を準備した。富士山頂で1泊して戻ることをすれば十分ではないものの,ある程度の高度順応ができるらしい。JAC(日本山岳会)のベテランメンバーによれば,「富士山に登れば,1ヵ月位は高度順応の効果がある」とのことだ。そのため,7月中旬から8月上旬にかけて3回富士山へ登る予定を組んだ。しかし3回とも天候が悪くて富士登山が出来なかった。特に3回目の8月上旬は,雷雨注意報が出ており,「危険だから絶対登らないこと」とされていた。富士山で雷が発生すれば,遮るものが何もないため,大変危険とのことだ。
前年,フローリアンに,高度順応の件を確認していたところ,「日本では4000m級の山がなく,限界があるから早くシャモニーに来る方が良い」と言われていた。日本で最も高い富士山でも高度は3776mでしかないから,そのとおりかもしれない。でも富士登山はやっておこう,と準備したのだ。
それ以外には,京子は日常のトレーニングとして,5月頃から2kgの重りを両足に付け,15階建ての自宅のマンションの階段の往復(3往復から5往復位)を毎日繰り返しをした。脚力を付けるには,これは非常に効果があると京子は言う。このトレーニングは,アフリカ大陸での苛酷な大会に参加をし,上位入賞した日本人の女性が,「自分の働くオフィスがある30数階建ての高層ビルの階段を,10キロのリュックを担いで上り下りをして訓練した」という話を聞いて実行した方法だった。
日本での準備は必ずしも十分とは言えなかったが,「今年は何としてもマッターホルンに登頂をしてみせる」と意気込んでいた。フローリアンからは,「3週間シャモニーに滞在できれば,必要な4000m級の山へ登り,トレーニングをする」言われていた。しかし,夏休みといえども3週間も事務所を空けるのは難しく「2週間は滞在できるように予定を組むからそれでお願いしたい」と伝えていたのだった
3 マッターホルン登頂に向けてのシャモニーでのトレーニング
フローリアンからは,事前にどのようなスケジュールでトレーニングをするのか,メールで連絡をくれることとなっていた。しかし何の連絡もない。シャモニーに着いてから確認すると,フローリアン曰く,「今年はヨーロッパ(シャモニーやツェルマット)の天候が不順のため全く予定が立たないからだ。」とのこと。事前の天気予報は全く当たらず,前日になって山岳組合の掲示板で翌日の天気を確認する毎日だった(ヨーロッパでも全般的に異常気象が発生しているようだ)。
大まかな予定とすれば,最初の1週間で4000m級のトレーニング用の山へできる限り登り,後半の週の水,木,金で天候の様子を見て,マッターホルンに登るという予定だった。
さてここで,シャモニーに滞在中にどのようなトレーニングをしたのかを簡単に整理しておこう。
① 8月10日から11日に4000m級の山に登る
最初はスイスのサースグルンド(Saas-Grund)にあるラギンホーン(Laggin horn,4010m)に登る。鋭い岩山で,マッターホルンの練習山として,ひたすら,岩を登るだけの山だった。山小屋(3200m)に泊まり,翌朝4時半に出発して,山頂へ,そして12時頃に山小屋へ戻る。京子曰く,「いきなり4000m級の山へ登り,途中足がふらつき,力が入らなくなった」とのこと。宿に戻ってから,「太ももが痛い」と言い出して,以後,私は連日太もものマッサージをさせられることとなった。この日,フローリアンは,山小屋を出ると素早く飛び出すように山に登りだしたという。その理由は後でわかった。
② 8月14日(水),8月15日(木)は高度順応の準備の日となる
この2日間は,山岳組合の恒例のフェスティバルの日のため,フローリアンの援助は受けられない日だった。そのため,京子は1人でシャモニーの街の,エギュード・ミディへのロープウェイ乗り場の裏手から,中間駅のプラン・ドエギューまで約1000mを登り,そこからエギュード・ミディの頂上(3842m)まで行き,2時間位,高度順応をして戻ってくることとした。
1日目は,最初の4000mの山登りで痛めた太もものせいで,1000mの登りが大変だったとのこと。宿に戻って太もものマッサージを受けて少し楽になったという。エギュード・ミディの頂上の展望台は,3800m以上の高度のところにある。京子は以前モンブランに登ったときにも,雨の日にエギュード・ミディの頂上にある展望台へ行き,そこの階段の「上り下り」でトレーニングをした。これは大変効果があったので,今回もここで高度順応を試みたとのことだった。
2日目は,1日目とは異なり大氷河・メールド・グラスに向かう登山電車の駅モンタンベールを経由する別のコースを歩き,プランド・エギューまで登っていったが,明らかに案内板に表記された予定時間よりも相当早く歩くことができ,前日の高度順応の効果があらわれてきた,と京子は言った。
③ 8月16日(金),3000m以上の練習山へ登る
この日は,再度フローリアンとプランド・エギュー(中間駅)までロープウェイで行き,ここからマッターホルンに似た岩山に登る。ここでもフローリアンは中間駅に着くと,脱兎の如く,素早く歩き出していく。やっとその理由がわかってきた。それは,マッターホルンでは,登山基地のヘルンリヒュッテからスタートして,途中にあるフィックスロープにたどり着くまで,良い場所を確保するために他の登山者と競争をしなければならないからだ。それを意識しての訓練だったと悟ったのだ(これを日本の国際ガイドは俗に「マッターホルンレース」と呼んでいるらしい)。最初の4000m級のラギンホーンでは,フローリアンの早歩きについて行けずに太ももを痛めたが,今回はトレーニングの成果が徐々に出始めており,「何とか遅れながらも着いていけた」とのことだった。日本のガイドによれば,「マッターホルンレースでは,上位に入らないと良い場所を確保できず,結果的に登頂は不可能となる」とまで言われているらしい。(ほんとだろうか?)
④ 8月17日(土),18(日)はバイスミスに登る
この日はフローリアンの兄のバートランドと一緒に,バイスミス(Weiss mies,4017m)へ登ることとなる。フローリアンは,別の予定があったため,バートランドに予めガイドを頼んでいたようだ。この山は最初に登ったラギンホーンの隣りにあり,サースグルンドの近くのサースアルマゲル(Saas-Almagell)から3時間かけてアルマゲルハットに登り,そこを基点に翌朝4時半からバイスミスの登頂を目指す。往きは岩のある山登りの道を進み,帰りは反対側のノーマルルートの雪道を下り,サースグルンドに降りて,シャモニーへ戻る。今回は,2度目の4000m級の山へのチャレンジであり,京子はかなり余裕を持って登ることが出来たらしい。バートランドはその様子をフローリアンに連絡をしていた。
⑤ 8月20日(火)はインドア-クライミング(indoor-climing)をする
この日は朝から雨のためどこにも行けず,午後からシャモニーの隣の街レジュースへ,インドア・クライミングに連れて行ってもらう。京子はインドア・クライミングは初めてだったので,私も一緒について行ってその様子を写真に撮る。室内の壁のいたるところに手や足を引っ掛ける障害物がついており,補助のロープをつけて天井に登って行く。岩山でのロッククライミングは慣れているせいか,初めてにしてはうまい。3時間位いろいろな壁に挑戦してから宿に戻ってくる。
⑥ 8月21日(水)にイタリアのエルブロンネの近くの山に登る
フローリアンが朝7時に迎えに来る。この日はエギュードミディのイタリア側の山へ練習として登ることとなる。3500mを優に超えた山のようだった。
以上が,概ねシャモニーでのこの間のトレーニングの様子だ。わずか12日間で4000m以上の山へ2つと,3000m以上の山へ2つ登り,その間,クライミングの練習をし,高度順応のため3800m以上の高所にあるエギュードミディの展望台に2回,2時間以上滞在して準備を重ねた。
短期間で,以上のような集中トレーニングを行うと,明らかに山登りの基礎体力も強化されてくる様子が見られた。
4 アイガーへ向けてのチャレンジに変更される
ところで,8月18日の日曜日にシャモニーの宿に戻った後,フローリアンは,「残念だが,月,火と天候が悪く,マッターホルンは雪が降る。そのため今回,マッターホルンへの登頂は無理だと思う」と京子に告げた。
そして,その言葉通り,8月19日月曜日は,天候は荒れて大雨だった。
ところが,この日の夕方,がっくりしていた京子に,フローリアンから,「マッターホルンは無理だが,21日(水),22日(木),23日(金)でアイガーとユングフラウ(Jungfrau・4158m)に行く」と告げられたのだ。この突然の変更に京子が大喜びをしたことは言うまでもない。しかし問題は,アイガーの基地となるミッテルレギ小屋(Mittellegi・3355m)が21日からオープンしているかどうかだった(マッターホルンの登山基地ヘルリヒッテは,雪のため閉鎖したままだったらしい)。
フローリアンは,8月20日(火)にインドア・クライミングへ行ってから,ミッテルレギ小屋に確認の電話をした。でも,残念ながら翌8月21日(水)は「天候がまだ回復せずopenしない」との返事。とりあえず,翌日はイタリアのエルブロンネ付近の山へ登りに行くこととなった。しかし,再度,翌日,「8月22日(木)はopenしないか確認する」とのこと。フローリアンは,「アイガーならば,登れるかもしれない」と考えていたようだ。
そこで,翌日,再度確認をすると,「明日はオープンする」との返事があった。フローリアンは,「8月22日(木),23日(金)に,アイガーに登る」と京子に告げたのだ。憧れの山の1つだったユングフラウは断念することとなったものの,アイガーに登ることができれば,今回トレーニングを積んで頑張った甲斐があったということになる。これでひとまず京子も安心することができた。それは8月24日(土)の朝には,日本に向けてジュネーブからフライトをする予定で,これが最後のチャンスとなるからだ。
翌8月22日(木),朝8時半にフローリアンは宿へ京子を迎えに来た。この日にミッテルレギ小屋まで行き,翌朝アイガーに登り,そのままシャモニーに戻る予定とのことだった。しかし,フローリアンは天候のこともあり,「何時にシャモニーに戻ってくることができるかはわからない」と言って,グリンデルバルトに向かった。
しかし,ここから,私の心配事が発生した。
私はアイガーの翌日の天気を,スマートホーンで検索してみたからだ。すると「アイガーの天気,8月23日(金),にわか雨,最高気温0℃,最低気温-9℃,降水確率50%」と表示された。そうなるとアイガーの頂上は雪となる可能性がある。岩山だから登頂は無理かもしれないと思い,心配で夜眠れなくなってしまった。でも「フローリアンと一緒だから大丈夫だろう」と自分に言い聞かせて,何とか眠りについた。
翌朝は5時に起床。シャモニーの天候は晴。落ち着かないのでメールドグラスからの雪解け水が流れている私のお気に入りの散策コースを歩いて,昼過ぎ宿に戻る。すると,突然3時過ぎ,京子から電話が入った。「無事登頂した」とのこと。シャモニーには夕方6時頃に戻ってきた。
京子は,「アイガーの天候は良かったよ」と言う。私は,今年の天気予報は全くあてにならないことを思い知らされた。さらに京子は「ミッテルレギ小屋から山頂まで,日本の旅行会社の案内文では,7時間の行程となっているが,それを3時間半で登った」と自慢げに述べた。小屋を20分前の5時に出発した第一陣の登頂をめざすグループ(10数名いる)をすべて追い越し,一番に登頂したため,他のガイドが「あれは誰だ」とフローリアンに話しかけていたと言う。フローリアンは,今日の京子の頑張りを見て,自慢顔だったようだ。彼の奥さんから電話で,「コングラッチレーション」と言われ,喜んでいたという。ガイドといえども,やはり自分のクライアントをアイガーに無事登頂させることができたことは嬉しいようだった。
5 アイガーへの登頂は無事成功したが次は何処か
今回は,マッターホルンへのチャレンジが,直前に雪が降ったため不可能となり,急遽アイガーに変更となった。でも十分な事前トレーニングを積んでいたため無事登頂に成功することができた。トレーニングの成果は,側で見ていてもわかる程だった。今回はそのうえ,他のガイドが驚くほどのスピードでアイガーの頂上まで登り切ることができた。私がこれを「信じられない」と言うと,京子は,アイガーの頂上でとった携帯写真に表示された撮影時刻を示して「嘘ではないでしょ!」と強調した。
来年はマッターホルンではなく,思いきってグランジョラス(Grandes Jorasses 4208m)にも挑戦してみようか,と京子は言う。フローリアンはマッターホルンへはOKと言うだろうが,グラジョラスはアイガーのように険しい岩山のうえに,アイスピッケルを使って登ることが要求されるアルプス最難関の山なので,「特別の訓練が必要だ」と言うだろう。京子には今年のような頑張りを期待したいものだ。
そうは言っても,宿で待機することになるサポーターは精神衛生が全く良くない。でも「一緒に登れない以上,しょうがないだろう」と自分に言い聞かせている。
(2019年8月9日~8月24日
までシャモニーに滞在する)
関 戸 一 考 記